ジェルトロン開発者・田中啓介のブログです。

2012年4月23日月曜日

目的と目標(その2 プロゴルファー 藤田寛之)

昨日、4月22日、今季2試合目にして早々とつるやオープンで藤田寛之プロが優勝を果たした。私(弊社)は2006年から藤田プロと専属キャディの梅原敦さんにジェルトロンのショルダーベルトのご利用を頂き、何かとご縁をいただいています。18日(水)も練習ラウンドとなるプロアマに同行させていただき、待ち時間に話をさせて頂いた。

4月24日号の週間パーゴルフに藤田プロと河瀬プロの師弟対談があり、その中の藤田プロのコメントの「賞金王を魅力とは思わない。なぜなら、賞金をいくら稼ぐかという問題は後からついてくるものであって、それよりも勝ち方とか、藤田寛之というプロファーに対する評価、そのあたりをもっと高めたいな。プロゴルファーとしての自分をもっと磨いて、周囲に何らかの影響を与えられるような存在になりたい。・・・・プロゴルファーは大勢いるけれど、『話を聞くならあの人に聞きたい。』『あの人なら本当のことを教えてくれそうだ』という存在になりたい。」という記事を読ませていただき、賞金王という目標ではなくプロゴルファーという表現手段をもって、人を喜ばせて人生を幸せに生きる(人の喜び=自分の喜び)という人生の目的を明確にもっておられることに感銘した、旨を伝えさせていただいた。藤田プロは「そうでしたか、ありがとうございます」と謙遜しながら答えてくれました。私はこのやりとりの中で、今年の藤田寛之は一段と強くなりそうだ、という予感を感じ、そしてその予感が直ぐに結果として現われたのが昨日の優勝であった。藤田プロの強い勝ち方には確固たる人生の目的意識の表れがいたるところに存在していたと思う。

藤田プロはGDOの優勝のインタビューで「優勝よりも生きざまやプレーから何かを感じてもらいたいです。一生懸命やっている姿から感じてもらう方がうれしいですね。40過ぎて頑張ってるねって言ってくる人には、皆さん自分なりの悩みがあると思うんです。僕は頑張っている姿を見せ続ける立場にいる。みんなもそれを見て頑張る。そこにプロゴルファーでいる意味があると思うんです。勝ち負けは自己満足、通過点にすぎないと思うんです」。と答えている。

私はいつも、目的と目標を明確に分けて考えることを徹底するようにしている。目的の的は「まと」であるから到達すべきところであり、目標の標は「しるべ」であるから通過しなければならないところ。要するに的に向かって進む上で確実に通過しなければならない標という捉え方が重要であり、目的のない目標は脆弱であり、命をかけるには値しないものと考えている。まさに藤田プロは、「勝ち負けは自己満足、通過点に過ぎない」と表現しているところに、勝つことや賞金王というポジションは目標として捉え、ゴルフという表現手段で人を喜ばす(人へのお役立ち)という目的を達成しようと努力を重ねていると改めて感じさせていただいた。

勝ち数や賞金は全て数字で表現できるが、人を喜ばすということを数字で表現することはできないものである。私は講演会などで「目的と目標の明確な分け方が解らない」という質問を頂いたとき、必ず『数字で表現できるものは殆どが目標であり、目的には成り得ないものであり、また目的であると錯覚してはならない』と答えている。
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2012年4月4日水曜日

目的と目標(その1 大学進学)

4月になって、日本中で入学式が開催されています。学生のみなさんは、それぞれ希望に満ちたスタートとなっていると思うのですが、果たしてどれだけの大学生が入学時点で自分の人生の目的を意識してその大学に入学してきたのでしょうか?入学時点では明確な答えを持ち合わせていない場合が殆どでしょう。(少なくとも基本的な4年間という在学期間で自分の好きなことを見つけ出すことができれば人として幸せな人生の要素となる仕事に繋がっていくとは思いますが・・・)

日本や韓国では「なぜこの大学に行きたかったのか」と尋ねると、多くの学生は明確な答を即答できないことが多いのです。私は講演をさせていただくときに、聴講いただく方が学生や社会人に限らず必ず「目的と目標はどちらが重要だと思いますか?」と質問します。どこでもほとんど約80%の人が目標と答えるのです。日本人の多くは子供の頃から、親、家族、友人等から目標ばかり問われて目的なんて問われたことがないから仕方ないのかもしれません。子供の頃から親に「東大は日本で一番いい大学だから東大に入学すればいいところに就職できる、そしたら人生安泰だよ」と言われ続けていると、いつのまにやら親も子供も「東大入学=素晴らしい人生」という構図が頭の中を支配するようになってしまうのです。そしてなんとか東大入学を果たしても、しばらくすると何を求めて、何のために東大に入学したかを考えると東大=幸せな人生ではないことに気づくものです。あくまでも東大入学は目標であって目的には成り得ないのです。だから目標校と言いますが目的校とは言いませんよね。

目的の的は「まと」ですから目指すべき最終ポイントであり、目標の標は「しるべ」ですから、あくまでも通過しなければならないものであり、そこに留まってはいけないのです。車のナビでも目的地を設定すると途中の通過地が表示されます。これが道標(みちしるべ)となり、この標を通過して進むことにとによって効率よく目的地に到着することができるのです。

我々は社会人となっても、多くの人が「何のために働いているの?」と質問されるとなかなか即答できる人がいないのは、目的を人生の中に見い出せていないからだと考えます。目的をもって大学に行くことは18歳の時点で素晴らしいことです。しかし目的が明確でないまま大学に入ったとしてもその大学という目標校で学ぶ過程で自分自身の適正に気づいたり、発見したりして人生の目的を明確にすることが大切だと思うのです。

私は人を喜ばせることが大好きで、人から褒められたり感謝されることに大きな喜びを感じます(これは誰もが持っていることですね)。「人を喜ばせて自分が喜ぶ」、という生き方を実践することが私の目的で、そのために様々な商品を開発するという目標を通過していくことにも楽しさを感じています。そしてお客様から「あなたの作った商品(ジェルトロン)のおかげで痛みやしびれが減った」「ぐっすり眠れるようになった」等のお礼のお言葉やお手紙をいただけることに大きな幸せを感じます。

現在弊社ではこの私の考え(理念)を共有してくれる従業員という仲間によって毎日の活動をさせていただいており、とてもありがたいことと感謝いたしております。
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