ジェルトロン開発者・田中啓介のブログです。

2016年12月12日月曜日

「体内時計と健康睡眠」

 第2次世界大戦中にナチスドイツで閉ざされた空間に人間を隔離して、24日間生活させるという人体実験を行っていました。その部屋には食料・ベッド・トイレ等が備え付けられ普通に生活するにはなに不自由ない環境となっていました。ただし、場所が地下なので窓がなく、時計もないので、昼か夜かは判らないのです。「朝になったと思ったら電気をつけて生活し、夜になったと思ったら電気を消して眠りなさい。自分の思う時間で24日間生活して、24日間が過ぎたと思ったら、ドアをノックしなさい。ドアを開けますから」と被験者に命じたのです。すると面白い結果が出ました。何人実験しても、25日間でドアをノックするのです。

 これはフリーランと呼ばれ、時計や太陽を見ずに自分の体内時計で行動し、睡眠をとるとどのような生活リズムが生じるかを観察するという実験です。睡眠学会で発表された最近の実験でも一日の平均時間が25時間±10分という結果が出たということです。

 これにより、人間の体内時計は約25時間で設定されているということが判明しましたが、これはどうゆうことなのでしょうか。現在の地球の自転は24時間ですからその差は約1時間。要するに毎朝、海外から飛行機で帰ってきて、1時間の時差ボケを解消しなければならないようなものです。

 そのために、私たち人間の身体からは、さまざまなホルモンが分泌されています。ストレス対応ホルモンの一種にコルチコステロイドというものがあります。このホルモンは朝5~6時ごろに分泌のピークに達し、起床後太陽の光を浴びて身体を動かすことによって全身に循環し、25時間の体内リズムを地球の24時間にリセットする効果があると言われています。特に子供の場合ゲームやスマホによって夜更かしをして眠る時間が遅くなるとホルモンの分泌のタイミングも遅くなり、しっかりと分泌されないまま起床時間となってしまのです。そうなるとすっきりとした目覚めにはならず、学校を遅刻することが多くなり次第に登校できなくなるのです。早寝早起きと言いますが早く起きすぎてもホルモンの分泌のタイミングを外すことになります。一昨年、長野県教育委員会は中学の部活の朝練を禁止することを決めました。しっかりとした正しいリズムの睡眠を保つことが健康の基本であることを今一度大切に考えるときにきていると思うのです。

 では一体、25時間という人間の体内時計はいつ決められたのか、ということに私は疑問を持ち、ひとつの仮説を考えました。

 いまの人間という存在は、猿人類のようなものから進化して、すでに600万年くらい経過していると言われています。その600万年くらい前、地球の自転がいまよりも遅く、25時間ぐらいかかっていたとすればどうでしょうか。そして、体内の記憶物質のところに、25時間の生活リズムがインプットされたと考えれば辻褄は合います。

 地球の自転速度は、現在でも常に一定ではないと言われています。

 そのため、毎年年末には、約1秒ほど時間調整をする「うるう秒」という制度があるくらいです。また、科学者によると、地球の自転速度は全体的に遅くなる傾向にあるといわれています。

 私たち人間が勝手に「絶対的に固定されたもの」として何かを信じたりするのは危険だということなのです。
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2016年11月18日金曜日

「今この現実を真剣に生きる」

私は現在、京都府教育委員会認定のフリースクール「聖母の小さな学校」の運営協議会委員として微力ながら参加させていただいている。不登校の子どもたちのための学びの場であるこの学校に通い授業を受ければ、現在在籍している学校に出席したとして単位を認めて頂くことができる、全国で唯一のモデル的な学校なのである。

先月この学校で行われたスポーツフェスタで掲げられたパネルを見た時、私は大きな衝撃を受けた。二人の生徒によって作成されたパネルには、学校で同級生などから浴びせられた酷い言葉と共にその言葉や行為を受けた時の自分の心の中の叫びをそのまま描き、そして真ん中の人物はうずくまって苦しんでいた状態から顔を上げて上を向いており、その周りの光は正直な自分と向き合ってやっと出てきた希望が表現されている。

本人にとってはとても辛く苦しいことであったと思うが、それらを乗り越えこれほどまでに現実の自分を素直に表現できるようになれれば、自立した社会人として歩みを進めるスタートラインに立ったといえると思うのである。

生徒がそれぞれにふさわしいスタイルのスタートラインに立てるまでの道のりは筆舌に尽くし難い生徒自身とその家族の努力があることはもちろんであるが、その生徒と家族をしっかりと支え、この学校を運営されてこられた梅澤先生ご夫妻の慈愛に満ちたご努力があればこその賜物であると思う。

社会において、何事においても大多数の価値観が正しいと考えがちな一般常識が存在するが、少数の価値観を受け入れる心の広さを持つことの大切さを忘れてはならない。私自身「学校は休まず出席しなければならない」という価値観に疑問を持ったことがなかったが、その価値観は間違ってはいないけれど必ずしも正しいものではないことをも気づかせていただくことができた。

パネル上部にある「社会は不登校をマイナスにしか見ない。でも私は、この自分の不登校を真剣に生きている!」というメッセージは日本中に多くいる不登校の生徒達一人ひとりに大きな力を持った光となって一隅を照らすに違いないと思う。

世界中には学校に行かなくても様々な学びのスタイルによって人間として成長し、人の役に立つ素晴らしい功績を残した先人達が多く存在することを忘れてはならないと思う。





聖母の小さな学校 舞鶴市上安1697‐1 電話0773-77-0579
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2016年10月21日金曜日

「改善する強い意志」

今年は世界的な観点で様々な事象を見たとき、歴史に残るような改善を求められる事態が発生するであろうとの予感を持っていた。この機会を謙虚に受け止め勇気をもって改善を実行に移すことが大切であると感じている。
例えば日本においては、天皇陛下の生前退位は歴史的な改善と言えると思う。これは陛下の熟考の末の強い意思表示によって実現するものと思う。
ここで、2020東京オリンピックについて私論を述べさせていただくと「辞退」するべきではないかと思う。「今さら何を言うか」とのお声もあろうが近未来の経済尺度にとらわれない正しい日本の成長を考えたとき、辞退という選択はまさに改善に値すべきことだと思う。理由は幾つかあるが、予算を見た場合当初の4倍以上の資金が必要との試算が報道されている。一般的な企業において一つの事業を進める上で当初の予算の4倍の資金を必要とするということになった場合、ほとんど実行しない判断を下すものである。特に金融機関からの資金調達が前提なら、金融機関が追加融資を認めることは不可能に近いことである。
またオリンピックが終わってからの施設維持費と長期的修繕費を考えると、このまま実施に向けて突き進むことは将来に大きな負の遺産を残すことになるのは明確である。さらに世界が注目している福島原発の放射能汚染水について、安倍首相は「完全にシールドされており一切外に流れ出ない」と言っていたが、今日現在も流出し続けているのが現状であり、虚偽の説明によってオリンピックを誘致したと言っても過言ではない。
そしてオリンピックの施設建設のために多くの土木建築の従事者が必要であるため、福島復興のための日当よりかなり高額な給与を準備していることで復興の従事者の多くが東京に流れ、遅々として復興が進まない現状がある。福島の被災者の人々にとってオリンピックを心から喜ぶことは難しいと思うが如何であろうか。今こそ勇気をもって辞退という改善策を実施したなら、将来において世界的に評価される勇気ある改善と言われると思う。
間違いである行為だと気づいたとしても改めることができず突き進むことを悪行と称するならこれを止める強い意志が大切であると思う。
チベット仏教の高僧ミラレパは「善行は悪行を成すよりも強い意志が必要である」という言葉を残している。
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2016年9月16日金曜日

商人の姿

先日テレビのCMでの一言に大企業の商人としての未熟さを感じた。その内容とは、D○○は販売後もお客様の健康に向き合い、医師10名をはじめとする30名以上の医療系有資格者が在籍する相談室を設けています。健康に携わる企業の責任として、サプリを売ればそれでおしまいではないからです。「商売のためだけなら、ここまでできるでしょうか。」というものである。
私は商売というものはここまですることも基本的に必要なことであり、それを商売の域を超えた特別な善行かの如く表現するのは間違いだと思う。まして一千億円を超える売り上げに対し、十分な人数とは思えない。それよりもこのサービスができるようになるまで支えていただいたお客様に感謝を伝え、更なる改善を宣言することが大切だと思う。世界中の大手企業のほとんどが「商売=売上追及」と考えているように思うが、この企業も同じく商いの本質に気づいていないと思うのである。
私は商業界という商道徳の普及に努めた倉本長治の「店は客のためにある」という考え方を基本として今日に至っている。「店=商い」というフィールドを通じて目の前のお客様を如何にして感動し、満足してもらおうかと考え行動し、その結果「心からのありがとう」をいただくことで、自分自身が幸せに感じられるところに商売人の目指すべき目的と醍醐味があると思っている。
商売人という前に人間として何ができるのか、何をすることがお客様の満足につながるのかと考え行動することが大切だと思う。
倉本長治と共に戦後の日本の商業者に大きな影響を与えた岡田徹は商人の姿を次のように謳っている。
一人のお客の喜びのために誠実を尽くし
一人のお客の生活をまもるために利害を忘れる
その人間としての美しさをこそ

わが小売業経営の姿としたい
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2016年8月9日火曜日

「心地よい気遣い」

リオ オリンピックが始まり、ゴルフ競技の池田勇太選手の福田キャディからキャディバッグの肩ベルト(写真参照)の中に弊社開発のジェルトロンを入れて欲しいとの依頼を受け作製しました。プチ自慢になりますが現在、日本の男女プロゴルファの約70%のキャディにジェルトロンを使用頂いています。
さてオリンピックのように海外での試合では時差ボケによる不眠が問題となることが多いですが、日本睡眠学会で発表された夫が不眠で悩む夫婦のお話です。
  夫婦で医師のもとを訪ね、適切な薬を処方してもらい、夫は毎日0時の就寝前に薬を飲んでいました。ある日、町内運動会に参加し疲れていた夫は9時頃からぐっすり眠っていたそうです。ところが0時頃になって、奥様が「あなた。薬を飲む時間ですよ」と夫を起こしました。夫はそれから朝まで眠れなくなってしまったそうです(笑)。
 医師は「毎日0時くらいに、ベッドに入っているのなら0時少し前に、この薬を飲みなさい」と手渡していたので、奥様はこの言葉を忠実に守ったのですが、これは、夫をぐっすりと眠らせるという本来の目的を見誤り、薬を飲ませるという行為を重要視してしまった悲劇です。「眠れているならあえて薬を飲む必要はない」とその医師は話していました。
 もう一例ご紹介しましょう。かなり以前、航空会社のANAが国際線に就航したとき、外国の乗客から「JALよりも、国際的なセンスを持ったサービスができている」と評判になりました。なぜなら、JALに乗ると気持ちよく眠っていても食事の時間になると必ず起こされて、「食事の時間ですよ!お客様、起きて食べてください」というサービスを無理矢理受けさせられたのです。しかしANAは、「お食事をお持ちしましたがお休み中でした。お目覚めになられたら、客室乗務員にお声かけください。すぐにお持ちします」というカードを置いていたのです。当然ですが現在はこのスタイルが世界の標準になっています。
 それぞれの行為の目的とは何なのか、何のために行う行為なのかといったことをしっかりと認識することが人に喜んでいただく心地よい気遣いの原点だと思うのです。

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2016年7月12日火曜日

人の為と書いて偽りと読む

10日に参議院選挙が終了した。政治に関わることといえば2011年末の民主党の京都大会に出席したこと思い出す。当時民主党の最高顧問であったF氏が「民主党議員の皆さんは政治家として50%の力を注ぎ、政治屋として50%の力を注いで活動をしてください。要するに国民のことを考えた政治家としての活動は50%で、そして次の選挙に勝つための政治屋としての活動を50%行うべきです。」という挨拶をした。そもそも国民の喜びを我が喜びとして100%の力を注いで活動する政治家であれば、多くの国民が支援することになり、結果として真の政治家として育つものではないのか。政治家としての評価は全て国民に委ねるべきであり、自ら自己の地位の保全を目指してはならないものではないのかと考える。「100%全力で政治家として国民の喜びを目的とした活動はしません、そして自己の地位の確保という目標達成のために議員活動の半分の力を注ぐことを目指します」と明言する政治屋という哀しい姿を垣間見たと感じている。政治屋は当たり前のように「国民の為に働きます・・・」というがとてもその言葉が実感できない。なぜなら「人の為と書いて偽りと読む」とは昔から言われている。真の政治家なら「国民の喜び=我が喜びであり、まず第一に国民の喜ぶことに最善の努力をし続け、その結果国民から感謝され信頼される政治家として、自分自身が幸せを実感し喜ぶことができるよう自分の為に働きます」と明言し続けてほしいものである。
何事も人の為ということはない。例えば親が子供に玩具を買い与えたのに子供がそれで遊ばなかったとすると、親は「子供のために買ったのに…」と言うがそれは誤りで、正しくは子供が玩具で遊ぶ姿を見て、買って良かったと喜ぶ自分自身の為に買ったということなのである。

どんな仕事でもお客様の喜びを我が喜びとして100%全力投球で仕事をしている人の背中からは感動が伝わってくる、しかし50%の力で仕事に取り組み、金を儲けることに50%の力を費やしている人の背中からは感動どころか哀れさを感じるのは私だけであろうか。
「素人には政治はできない」と答えた政治屋がいたが、この言葉を発した玄人の政治屋自身が今の日本にしてしまったという事実に未だに気づいていないのは国民として哀しいことである。
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2016年6月3日金曜日

地獄と極楽

あるお金持ちが「世界中のいろんなところに行ったので、何かとんでもなく楽しい体験を企画して欲しいのだが」 と、旅行会社に依頼しました。
「では『地獄と極楽ツアー』はいかがでしょうか?」「面白そうだね!参加しよう」
 ということで、お金持ちは興味本位で参加してみたそうです。そして、当日指定された場所に行くとタイムカプセルのようなものがあり、その中に入って目を瞑りしばらくすると係員に「はい、目を開けて。地獄に到着です。窓から覗いてみてください」と言われ、下を覗くと、大きなテーブルに20人近く座らされており、すごく豪華な料理が並べられていました。しかし、よく見ると20人みんな椅子に左手が縛られていて、右手に1m以上の長いお箸を持たされています。どう考えても、お箸が長すぎて口に料理が辿りつかないのです。
 どうなるのかな、と思っていると「どうぞ食事を始めてください」と、どこからともなく声が聞こえてきました。普段のお箸使いでは到底食べられないものですから、おかずを突っついて放り投げて食べようとする人がいました。すると、向こうの人に飛んでいってしまい「何をするんだ」と喧嘩になり、結局1時間の食事の間、誰も何も食べないで終わってしまいました。
「なるほど、凄い修羅場でまさに地獄絵図を見ているようだ。」「では、次は極楽にご案内します。また目を瞑ってください。……はい、到着です。覗いてください」
「おいおい、詐欺かい?さっきと同じ景色じゃないか。大きなテーブルに20人近く座らされていて、左手が縛られて、1m以上の長い箸を持たされている。どこが極楽なんだい」
「まあ、見ていてください」
 先ほどと同じように「どうぞ食事を始めてください」と声がすると、お料理をぱっとつまみ、2つ隣の人に「はい」と食べさせてあげているのです。そして「そのかわり、僕はこれね」と言うと、今度は向こうの人が食べさせてくれるのです。そして、無事1時間で全員が満腹になり「ああ美味しかった。良かったね」と言って、終わるのでした。
「あれ?与えられている状況は一緒なのに、やり方を変えて人にちょっとお手伝いをしただけで、皆がお腹一杯になった。なるほど、これは極楽だね」 
 要するに、我々が生きている世界を地獄にするのも極楽にするのも、考え方と行動次第だということです。
 皆が1m以上のお箸をもって「自分が、自分が」と行動するから、社会のリズムがうまく回らないのです。そうではなく「まずは人を喜ばせよう」とすると、自分の順番が回ってきたときに、お腹一杯に美味しい食事をいただくことができるでしょう。「まず人を喜ばせて、その人の喜びを自分の喜びとする」という利他の考え方を実践することで、自然と社会は良くなっていくはずです。

 地球は、そこに暮らす人間の利己を競い合う場ではありません。お互いが助け合い、幸せになるための場だと思うのです。
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2016年5月2日月曜日

真の豊かさ

私が以前、家具店を経営していたときのことです。舞鶴と福知山に店舗がありました。
 創業40周年記念で「アメリカに研修旅行に行こう」ということになりました。社員が30名ほどいましたので、半分ずつの2班に分けて同じ場所を回るというスケジュールを私が組みました。
 出発の2週間ほど前に、海外がはじめてという社員のために、入国時の書類をどのように書くのか等、説明会を開催しました。
 そしていよいよアメリカに行き、1班の研修旅行が無事終了し1班を見送り、引き続き2班が到着するのをロサンゼルス空港で待っていました。そこで、問題が発生したのです。
 入国管理局でパスポートと入国申請書を提示したとき、ある社員がその書き方を間違えたらしく、ひとり別室に連れて行かれて、思わぬ時間ロスが発生したのです。
私が「どこを間違ったの?」と聞くと彼は「SEXと書いてある、女と男の箇所だった」と答えました。
性別はManWomanじゃなくて、MaleFemaleで書くことになっているので、男性はMに丸印をつけると説明しましたよね!というと、彼は「それをうっかり忘れてしまい、福知山店勤務なものでFに○をつけてしまいました」と言うのです。
なぜそう考えたかと訊ねると、「左隣の舞鶴店の○○君がM、右隣の□□さんがFに○をしていました。だから私は福知山店=F、舞鶴店=Mと書かなあかんと思ったのです」と答えたのです。 
彼は60歳で、海外旅行は初めての経験で、今までの人生で英語に触れることは殆ど無く、さらに両隣を見ると、舞鶴店勤務の同僚の男性がM、福知山店勤務の女性がFに印を付けているから、F=福知山勤務で間違いないと確信したということでした。
 これは笑い話として、皆様にご紹介しましたが、このようなことがわれわれの身の回りでも発生することがあります。例えば日本の常識が世界の非常識と言われることがあります。われわれは豊かさというと、無意識にお金の尺度を用いて、「富の豊かさ」を考えてしまいますが、地球規模で真の豊かさを考えると正しくは、やさしさや思いやりといった「心の豊かさ」が正しいということになると思うのです。

自分の価値観だけに囚われて、自分の勤務地をアメリカ入国時に記入した彼の行為は、笑い事ではなく、真の豊かさに気づいていない大多数の日本人といえるように思うのですが、如何でしょうか?
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2016年4月1日金曜日

癒しの生活 7

私は家具の小売業をやめ、今の仕事をするようになってから高齢者や障害者といった介護を必要とされる方々、同時に介護というお仕事に携わる方々とも多くのご縁を頂く中で、素晴らしい方々とお出会いすることがあります。その方々に共通しているのは、お金といった尺度に振り回されず、見返りを前提としない、慈愛と表現するにふさわしい大きくて優しい心の持ち主だということです。
かなり以前になりますが、ある方から頂いたお話です。
身体に障害があり、車椅子での生活をしているミヨちゃんという小学生がいました。
ミヨちゃんはいつもお母さんに学校に連れて来てもらっていました。ですから二人はいつも一緒でした。そんなミヨちゃんが学校の夏の野外学習でキャンプに行ったときのことです。ちょうどその日は77日で七夕の日でしたので全員が願い事を短冊に書いて笹に取り付けることになったのです。
しかし、その夜になってもミヨちゃんの短冊だけがありませんでした。そこでお母さんはミヨちゃんに「お母さんも書くからミヨちゃんも明日の朝食までに願い事を書いた短冊を笹に取り付けてね」と約束しました。お母さん自身も願い事をひとつだけ書くとなるととても悩んだそうです。そして素直な心で今の自分が感じていることを短冊に書きました。
翌朝、お母さんは笹に短冊を取り付けに行きました。その時、もうすでにミヨちゃんの短冊は付いていました。お母さんはホッとしてミヨちゃんの短冊を読んだのです。するとお母さんの目から涙があふれて止まりませんでした。
そこには「お母さんより一日、早く死なせて下さい ミヨ」と書かれていたのです。そしてお母さんも泣きながら自分の短冊を笹に取り付けました。そこには「ミヨより一日、長生きさせて下さい」と書かれてあったとのことでした。
私はこのお二人の、お互いを思いやる純粋で慈愛に満ちた優しさこそ、地球とそこに生きるすべての生命体を包む大きな愛というエネルギーに他ならないと思うのです。
しかしながら、このような願いを短冊に書かなければならないという日本の福祉の現状を変えなければならないと思うのです。

そのためにも、このミヨちゃんとお母さんの慈愛を親子という小さな単位に留めるのではなく、周りの人々にも伝染させ一人ひとりを繋ぎながら、障害のあるなしにかかわらず心豊かに安心して暮らせる街づくりをめざしたいと考えています。
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2016年3月2日水曜日

癒しの生活2016年3月

先日、西舞鶴高校卒業40周年同窓会を開催させていただいた。全国に住んでいる約100名の同級生が集まり、高校生だった頃にタイムスリップし、昨日のことのように思い出話に花が咲いた。髪だけを見ると同級生ではなく先生のような貫禄?のある者も居たりと40年の時間の長さを実感する場面もあった。
中には「おおー、久しぶりやなぁ!ところでお前いくつになったんや?」と質問するとぼけた者が居り、「あほ!ここは同窓会やからお前と同い年にきまっとるやろ!」と答え、大爆笑になった。こんなやり取りを聞きながら、ほのぼのとした平和な時間が流れていることをとても嬉しく感じさせていただいた。
同窓会というと決まって何人かは、「高校生の時に戻れたら、今のような人生ではなく、もっと違う人生を歩み直したい」「せめて10年前に戻れたら…」といったことを話題にする。テレビの街頭インタビューでも「10年前に戻れたら何をやりたいですか?」といったことを尋ねると、回答者の多くは「今とは違う生き方をしたい」と答えるのであるが、そう答える人の共通点として「今の生き方に満足していない、こんなはずじゃなかった」ということを口にする。
しかし、仮に神様が10年前に時間を戻してくれたとしても、殆どの人が今と同じ生き方になるだろうと思う。なぜなら自分自身でつくり上げた今の生き方に満足していない人が、自分で自分の価値観や生活リズムを変えるだけの精神力と実行力を持っているとは考え難いからである。
しかし、物理的に10年前に戻ることはできないが、10年後に自分の理想とする生き方を手に入れることは可能であると思う。分かりやすく言うなら、今まさに神様によって10年後の自分から10年前の自分に戻してもらったと考えれば簡単なのである。

そしてその方法は明快で、戻してもらった今という存在に感謝し、10年後の自分の生き方を徹底的に描き、その自分になるために必要な事をイメージし、イメージしたことを一つひとつ実行していけばいいのである。そうすれば必ず理想とする10年後の自分の生き方に到達すると思うのである。不満を口にする前に感謝の心を優先することを忘れてはならない。
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2016年2月19日金曜日

堀場雅夫氏からのアドバイス

堀場製作所の最高顧問である堀場雅夫氏が2015年7月14日に亡くなられた。90歳であった。 
私は堀場氏に私の事業についての評価とアドバイスを頂きたくて、是非会っていただきたいという内容の手紙を送らせて頂いたのが3月26日であった。それから1ヶ月程経過した時、堀場氏から「会いましょう」というご連絡を頂いた。日時は5月11日に決まった。 
しかし5月8日に連絡があり本社で会う予定を変更して欲しいとのことであった。現在京都市内の病院に入院しており、11日までに退院できないので病室で会うということでどうだろうか?とのお申し出であった。私はお見舞いを兼ねる気持ちもあり、「病室にまでお呼びいただけることに感謝申し上げます」とお伝えし、11日に伺った。 
20分間という限られた時間の中で弊社及び私の生き方、弊社商品のジェルトロンについて7分でお伝えしお考えを聞かせていただいた。現代日本のベンチャーの祖といわれるだけあって、製品の機能特性を瞬時にご理解頂き、「これは素晴らしい私も使いたいので直ぐに持ってきてくれ」とご注文を頂くことができた。決して売り込みに行ったわけではないが、使ってみたいと思っていただけたことは非常に嬉しかった。 
 帰り際に「日本を代表する大手ベッドメーカーが弊社商品ジェルトロンのカタログ等から商品写真や説明文を盗み取ってPOPを作成し、ジェルトロンとは異なる機能の類似品を販売したことについて報告し、この詐欺的行為によって騙されて購入されたお客様方(約2万人と推察している)がジェルトロンの真の機能ではない類似品を使用され、良くないという評価をされてしまうと、堀場様のように介護を必要とされるお客様にジェルトロンの真の機能をお届けするという役目が果たせなくなることが残念でならない。私が開発したこのジェルトロンを正しく理解していただけるよう今後も真実をお伝えするという行動を続けていきたい。」とお話した。堀場氏から即答で「徹底的にとことんやってやれ!私ならとことんやってやる!」と力強いお言葉を頂くことができた。90歳という高齢でありながらも自分の信念に基づいて生きることの大切さを力強く語られたときの表情は活き活きとしていた。 
今年の春の展示会でも「この商品はあの有名なベッドメーカーのコピー品じゃないの?」との質問を受けた。弊社が真似をされた旨をお伝えし、真実の機能についてご説明させていただくと納得していただけるのだが、質問をして頂けないお客様には真実をお伝えすることが叶わない。しかし私はこれからも徹底的にとことん命を掛けて、お客様のお役に立つことができるよう努力を続けていく覚悟である。 
 堀場氏の貴重なお時間の中で、私に対し命を掛けたアドバイスを頂けたことは、これからの私の生き方に大きな力を頂くことになったと確信している。 
堀場氏に対し心から感謝と哀悼の意をもってお見送りをさせて頂きたい。
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2016年1月15日金曜日

チベットでの出会い㊦

その高僧から「あなたはどこから来たんだ」と聞かれたので「日本です」と答えると「そうか。遠いところからわざわざチベットに来てくれたのですね。せっかくだから一つお話を致しましょう」と言って、禅問答のようなことが始まったのです。
高僧「人間は生まれたときは、どうして生まれてくる?」
私「……、生まれたとき、大声で泣いていたはずです」
高僧「はい。たしかにそうですね」
「とくに悲しくはなかったはずなのに、泣いて生まれてきた。だが、その時の両親や祖父母はあなたの誕生をどのように受け止めたと思いますか」
私「……。笑顔だと思います」
高僧「そうですね。あなたは泣いているのに、なぜ周りは笑顔なんだろうと考えるのが大切なのです。これからあなたが一生懸命生きて、本当に素晴らしい人生を送れたとすれば、息を引き取る瞬間というのは、安堵の気持ちで、ほんのりと笑顔の状態で死にたいと思いませんか」
私「はい、そう思います」
高僧「でも、そのときの周りの様子を想像してみてください。子どもや孫たち、家族一同がたぶん泣いて引き留めようとし、あなたの死に対して悲しみを表現するでしょう。これは、あなたが生まれたときとは逆の状態が起こっているということです」「つまり、人生のはじまりと終わりだけを見ても、自分の演じている行為と周りの演じる行為が全く正反対だということです。『生きているということは自分の望む正反対のことが起こること』と思えば、苦しみが減るものです」
 この言葉は私の腹にストンと落ちました。確かに、その通りだと思ったのです。
 ですが、自分の人生の中で思うようになったこともありました。自分の思うようになったときには素直に「自分の思っていることを形にしていただきありがとうございます」と、神や仏や宇宙に対して、手を合わせて感謝の気持ちを述べることが大切なのだと思います。
 感謝することで、人生の次のステージが様々な導きによって用意してもらえるのではないか、ということを強く感じることができました。
「人生思うようにいかないことに不満を言うのではなく、これを修行として感謝の念で捉え、思いが実現したときには徹底的に素直に感謝の気持ちを表すことを続けていければ、必ずいい人生であったと思える最後が迎えられるはずだ」ということを、私はチベットで確認作業として学ばせてもらうことができました。
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