ジェルトロン開発者・田中啓介のブログです。

2017年12月19日火曜日

呼吸とギブ&テイク


私は睡眠や床ずれに関する勉強会で講師をさせていただく中で、必ず「呼吸の大切さ」についてお話しさせていただくことにしています。聴講生の方々に「深呼吸をしてみてください」というと、ほとんど全員が息を吸い始めます、そして吐き出すのですがこれでは呼吸ではなく吸呼という順序になってしまっています。そもそも人間は生まれた時に母親の胎内にいた時の羊水などを吐き出してから息を吸います。そして最期には息を引き取ると表現されるように、息を吸って一生を終えるということになるわけなので、やはり呼吸という順序が正しいということになります。ですから深呼吸というのはまずしっかりと息を吐き出し、そして全身で空気を吸い込むことが大切なのです。健康状態が悪くなると深呼吸がしっかりとできなくなります。息をするということは命の根源でありますから、呼という吐き出す行為を大切にし、呼吸という順序を意識することが健康維持に役に立つと思うのです。

順序と言えばギブ&テイクという言葉がありますが、まず相手に与えることが大切で、相手から貰うことは後からついてくるということです。この順序を心掛けていればどんな価値観の人であろうと必ずいい関係ができると思うのです。

先日のことです、今まで長くご縁があり弊社が購入者となるA社に些細なお願い事をしました。するとA社は「来年も買ってくれるならその願い事を受けます、願い事を受けてほしいなら来年も買うと約束して下さい」というのです。その些細なお願い事はA社でなくても他に頼めるB社もいましたのでB社にお願いすると、気持ちよく「今までお世話になっているので願い事はお受けさせていただきます、来年も引き続きお取引を宜しくお願いします」と言ってくれました。A社とは今年限りで取引を止めることにしました。まさにA社はテイク&ギブという順序であり、B社はギブ&テイクという正しい順序での表現であったと思います。同じことを表現するにしても順序が違うだけで関係が崩れてしまうことになるということです。

単なる順序ということだけではなく、呼吸とギブ&テイクはよく似た意味を持っていると思うのです。なぜなら始めに吐き出すことや与えることを行えば、次には自然に吸い込めたり、与えられたりするということです。呼吸と少し違うのはギブ&テイクは与えた人から直接与えられるのではなく、多くの場合が与えた人とは異なる人から与えられることだと思います。このことは「情けは人の為ならず めぐりめぐって己がため」という言葉からも理解することができます。このように与える立場の時でも感謝の気持ちを大切にすることができれば、幸せな人生が実現できると思うのです。お金も第一に人の役に立つ使い方を考えることができればおのずと儲かるようになるものだと思います。要するに人生は出すことや与えることを第一に考えることが自然流だと思うのですが如何でしょうか。



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2017年11月20日月曜日

万全の準備という気遣い


先月、東京虎ノ門ヒルズで開催された「イノベーション リーダーズサミット」というアジアで最も大きい、ベンチャー企業と大手企業とのマッチングイベントがあり参加させて頂いた。お陰様で弊社を今年の大手企業が選ぶベンチャー企業ベスト100に選定いただいた。また、先週は「第五回けいはんなベンチャーチャンピオンシップ」において優勝させていただくことができ、グランドチャンピオンになるとニューヨークでのベンチャーイベントに出場できるとのことである。

このように様々なベンチャーのイベントでプレゼンテーションを体験すると、如何にして審査委員や聴衆の方々に対して感動と共に記憶に残るパフォーマンスができるかといったことが重要であると感じる。そのためにはしっかりとした準備と練習が必要となる。先週のイベントも商品説明のパネルやカタログ、サンプル商品等を持参するため弊社のスタッフが四つの袋に分けて準備してくれた。いざ駐車場に到着し、イベント会場へ向かおうとトランクから袋を運ぼうとしたが、そのうちの一つが袋の取っ手よりパネルが上にはみ出ていたため取っ手を持つことができない。仕方なく駐車場から会場までの100m以上を雨の中、二回に分けて運ぶ羽目になった。ここで大切なことはスタッフが実際に自分で四つの袋を持って「体験による確認(シュミレーション)」をしておけば、もう少し大きな袋に入れるなどの対策ができ、一度に運ぶことができたということである。単に物をそろえる準備ではなく、会場でのプレゼンテーション完了までの情景をシュミレーションして準備していたなら、一人では持てないような状態での準備完了にはならなかったと思う。「万全な準備」と言われるが準備とは何かを考える出来事だった。

「万全な準備」と言えばある寺の出来事を思い出す。大僧正が風呂に入ろうとした時、風呂当番の若い僧侶が「お背中を流しましょうか?」と声をかけた。大僧正はその僧侶を見て「いや、いらん」と答えた。あくる日大僧正がやはり風呂に入ろうとした時、昨日とは違う風呂当番が「お背中を流しましょうか?」と声をかけた。すると大僧正は「ありがとう、宜しく頼む」と答えた。大僧正に何を判断して異なる答えをしたのかと尋ねると、最初の僧侶は作務衣を着た状態で声をかけてきた、翌日の僧侶はふんどし姿で手にはタオルを持って声をかけてきた、既に背中を流すための万全の準備ができていたから「宜しく頼む」と答えたというのである。

「万全の準備」とは心が行き届いており、即座にその準備内容が利用できる状態のことであり、相手に気を遣わせたり、さらなる準備を必要としないことであると思う。相手に気を遣わせないように気を遣うことが本当の気遣いのできる人ということになると思うが如何であろうか。

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2017年10月23日月曜日

思いやりという幸せの尺度


先日、東京で開催された国際福祉機器展に出展し、その帰りに動く歩道を利用した時のこと。少し歩き始めたところで皆が立ち止まったので先の方を見ると電動の車いすが通路を塞いで止まっていた。電動の車いすは通常のものに比べ幅が広いうえに少し斜めに止まっているために追い越すことができにくいという状態だったので、ドキドキしながら注意しようとした時に終点となり、その車いすは勢いよく走り去っていった。駅へと急ぐ我々にとっては迷惑な行為と感じた。なぜ電動車いすでありながら動く歩道を使うのか理解し難い行為だ。障がい者専用の駐車スペースに健常者が駐車しているようなものではないだろうか。私は障がい者の方々をサポートさせていただく仕事をしているけれど、障がい者だからといってこのような行為は許したくない。健常者も障がい者もお互いに思いやりの心が大切だと思う。

ここで動く歩道についての歴史を見ると、1970年の大阪万博での使用が日本最初であり、これはイギリスをモデルにしており、片側を空けて利用するというマナーも同時に導入された。よって本来は片方を空けて急いでいる人は止まっている人を追い越しても良いということだったようだ。最近はエスカレーター利用時に事故防止の観点から歩かないようにというマナー変更をPRされているが、動く歩道の場合は現在「歩く派」と「立ち止まる派」があるようだから私の考えとは異なるご意見の方もあるかもしれないが、今回の事例を正しい行為だと肯定される方はどれくらいいらっしゃるだろうか?様々な考え方や価値観があるのは当然だけれど幸せな社会を創るには思いやりの心が基本になるものだと思う。

思いやりの心を大切にするブータン王国は経済的には世界ランクでは下位だけれど金銭的尺度ではなく「幸福度」という尺度をあてはめると常に世界でトップクラスである。幸福度の研究者によると、「幸福度」でトップクラスにある国々はそれぞれの国民の考え方や価値観が異なっても一つの共通点があるとのこと、それは国民の平均的心拍数が殆ど同じだということだそうだ。

「このハゲー」でマスコミを賑わし、今回の選挙で落選した議員の経歴は東大→ハーバード大→厚生労働省と、エリート街道であるが、人の心を欠いた暴言を吐くシーンがテレビから流れるたびに「心臓がドキドキする」と言った人がいた、国民の心拍数を不安定にさせる議員の存在自体が日本の幸福度を下げることになっているとは言えないだろうか。学歴やエリートという経歴だけでは幸せな社会は創れない。心拍数を一定に保つためには地位や名誉や金銭尺度を重要視することを止め、利他の心を大切にし、互いを思いやることが常識化することができれば心拍数は安定し、幸せな社会ができると思うのだが如何であろうか?
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2017年9月11日月曜日

盲目で車いすのミュージシャン㊦

前回に引き続いて盲目で車いすのミュージシャン山下純一さんについてお伝えします。いくつもの障がいという現実をしっかりと受け止め、全力で自分の限界を広げる生き方を続けられている中で、私がとても驚いたのがプロとしての徹底実践ということ。ブルースハープというハーモニカのプロ奏者としては致命的な障がいと言っても過言ではないのが握力がほとんど無いという現実。握力が無いからハーモニカを握るということができない、どのような状態かといえば、手首が内側に折れて手のひらが腕にくっついているという状態で手と腕の間にハーモニカを包み込んで固定して頭を動かして舌を絶妙に使いながら素晴らしい音を創り出している。「数年前は、手首はもう少し動いていたよね。あれからまた手首が動かなくなったの?」と訊ねてみた。すると山下さんは「中途半端に曲がったままの手首ではハーモニカを包み込めなくて空気が漏れてしまい思うような音が出せない、だから自分で手首を折ったんですよ。そしてやっとイメージ通りの音が出せるようになったんです。でも日常生活においては不便なことが多くなりました」とさらりと答えられた。私はこの一言にゾッとするような凄いプロの魂に触れた気がしたのである。自ら日常生活における障がいを増やしてもブルースハープの道を究め、聴く人々に喜んで頂こうとする生き方に心底感動させて頂いた。

そして山下さんは最後に「悲しいと感じることがあるんです」と話し始めた。「それは人から期待されないことです。私が障がい者であるということで、気を遣ってくれているからだとは思うのですが、些細な作業を伴うことは殆ど依頼してくれない。健常者にとっては些細なことでも『山下さんにはできないでしょうから』と決めてかかられる。この私でも出来ることはたくさんあるのです。人の役に立つこともたくさんやってみたいと考えています」と話してくれた。

私自身も人に期待されて頼まれごとを頂いた時、どこか嬉しさを感じ、経験したことのないことでも何とか期待に応えようと工夫して取り組もうとする。そして自分の殻を破ることができるのだと思うと、後輩や従業員等ご縁があって接する皆さんに公平に自分の殻破りのチャンスを創り出すことが大切だと実感した。

人の役に立つことを実践し、その行為に感謝され、それを素直に自分の喜びとして幸せを実感する。人間はやはり人を喜ばすことに最も幸せを感じる生き物であるということを忘れてはならないし、それこそが生きる目的であると思う。

人生には様々な困難や障害が起こってくるが、どんなことがあろうとも生きる目的を忘れてはならないという山下さんの思いをとても重いメッセージとして受け止めさせて頂いた。



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2017年8月22日火曜日

盲目で車いすのミュージシャン㊤

先日ある勉強会に講師として「盲目で車いすのミュージシャン」の山下純一さんに来鶴頂いた。山下さんはブルースハープというハーモニカのミュージシャンである。

小学校低学年で歩けなくなり、22歳で全盲になり、時期を同じくして肩・腕・手首の関節が動き難くなり、現在の握力はほとんど無いに等しい。これらの障がいがあっても演奏可能な楽器をと考えハーモニカ奏者を目指した。そしてプロミュージシャンとして活動を始めて数年たった32歳の時には耳が聞こえにくくなり、3年に亘り手術を繰り返し治療のため音楽活動から離れた。その間に音楽以外のことで自分への挑戦を続けるため四国の金毘羅さん参りを行い、785段の石段を「立膝歩き(写真)」で達成した。(この時の膝用の靴を弊社のジェルトロンで作製させていただいた。)健常者でもあの石段を登るのはかなりしんどいことであるのに、それを立膝歩きで達成されたということはかなり無謀な自分との戦いに勝利した瞬間だったと思う。

山下さんに「徐々に見えなくなっていくときの不安や恐怖をどのように克服されたのか?」とストレートな質問した。

「うっすら見える状況の中で何とか見ようとすることに苦しさを感じたので、何とか見ようとして苦しむのではなく、見えない現実を受け入れることを決めました。すると気持ちが楽になったのです。そして完全に見えなくなった時に新しい発見があり、それは接してくれる人の心の本音が見えるようになったということです。」との答えが返ってきた。

治療法が無い様々な障がいを恨んだり嘆き悲しみ続けるのではなく、その現実を受け止め未来につながる新たな生き方や対処方法を見出すことの大切さを教えていただいた。考えてみてもどうしようもないことにくよくよするのではなく、前を向いて生きる新たな一歩を踏み出すことにエネルギーを使わなくてはならないと思うのである。さらに目で見えていることがすべて本質的真実ではないという現実に気づかせて頂けたことは、山下さんならではの健常者に対する尊いメッセージであると感じた。



次に「障がいによるいじめを受けたことはなかったのか?」と質問すると、「たくさんのいじめを経験しました。健常者からだけでなく病院等の施設では、いじめてくる先輩と隣同士のベッドに寝ていたこともあり、当然逃げたり隠れたりできない状況の中で楽しく生きるための解決策を考えました。それはいじめてくる相手を笑わせるということです。笑わせることができたらその相手と友達になることができる。友達になると相手は私に対して人として優しく接してくれるようになるのです。」と答えてくれた。いじめてくる相手

のすべてを受け入れなければ笑わせようという気持ちにはなれない。いじめてくる相手との戦いを選択せず友達になることを考え、その最良の形として相手を笑わせるという考え方に到達した山下さんの心の広さに改めて感動させていただいた。

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2017年7月24日月曜日

ビートたけしさんのこと

先日、弊社がスポンサーをしているゴルフ番組「チームセリザワ」のテレビ撮影に伺った。ゲストはなんとビートたけしさんときよしさんのツービート!二人そろっての仕事は珍しい。きよしさんが私の顔を見るなり、「昨年貰ったマクラのお陰で毎日ぐっすり眠れてます。私は今までに3回の事故で首を痛めており、なかなか自分に合ったマクラが無かったのだけれど、ジェルトロンマクラは本当に素晴らしい!」とお褒め頂いた。開発者の私としてはとてもありがたいことである。そのきよしさんはもとより、出演者の芹沢プロや西山ゆかりプロの些細な言動に時事ネタを加えながら、突っ込み続けるたけしさんの凄い心遣いが随所に感じて取れた。撮影開始の朝9時から午後4時まで殆ど皆を笑わせ続けていただいた。かなりきわどい突込みにもかかわらず皆が笑い続けていられるのは突っ込まれた相手の心理を考え、ギリギリのところで突っ込みを止めて相手がひと言、反論できる間をつくる。この間があることによって突っ込まれた人は嫌な気持ちにならない、絶妙で凄い心遣いであると感じた。単純に笑えるネタばかりではなく、一つの笑いに対して二・三手先を読んで仕掛けて来るネタもある。例えばジェルトロンまくらを貰ったきよしさんに「おめぇ、このマクラをゴルフ場に売る気だろう!」「そんなことしねぇよ、何でそんなこと言うんだよ?」「俺は見たぞ!」「何を見たんだよ?」「ゴルフ場の入口に『間もなくジェルトロンマクラ入荷!』という張り紙が貼ってあったんだ!」さすがにたけしさんだと感心した。

 たけしさんのエピソードとして、後輩が引越しをするというので、たけしさんが引っ越し祝いは何が欲しいか?と尋ねると、洗濯機が欲しいと言った。引越しの日に後輩のもとにたけしさんから、たらいと洗濯板が届いた。後輩は一本取られたと思った。しかしそのたらいの底に百万円が張り付けてあり、「これで上等な洗濯機を買いな」という手紙が添えてあった。ちょっとひねりを加えた心遣いに後輩たちが、たけしさんを尊敬し慕い続ける理由があると感じた。

 もう一つ、たけしさんが成功の秘訣を尋ねられた時『おれは、自分の好き勝手やっているだけで、人よりも才能があるとは思えない。しかし、テレビ番組をやっても、小説を書いても、映画を作っても、絵を描いても、なにをやっても評価されてしまう。おかしい……。よく考えても、自分の才能でそれらをやれるわけがない。ただ、心当たりが、たった一つだけある。それは、若いころに師匠に“トイレを綺麗に掃除しろ”と言われてから30年以上ずっとトイレ掃除をやり続けてきた。自分の家だけでなく、ロケ先や公園、ときには隣の家のトイレ掃除もした。オレが成功しているのは、トイレ掃除のお陰かもしれない!』と答えている。私が撮影開始前にたけしさんに挨拶に行こうとしたらたけしさんがトイレに入られるところだった。トイレの外でたけしさんが出てこられるのを待っていたがなかなか出てこられない。マネージャーから「殿のトイレは長いですよ」と言われた。今思うと、そうだったのかと納得がいった。私もたけしさんを手本としようと思う。
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2017年6月13日火曜日

お客様優先の判断の難しさ

早くも台風1号が発生したというニュースを見て台風の対応を意識しなければならない季節になったと感じた。もう10年以上前の東京出張の帰りの出来事である。その日は夕食を交えた会議に出席し、最終の新幹線で京都へ、京都から普通列車で園部まで帰りそこから自家用車で自宅へ戻る予定をしていた。東京を時間通り発車したものの次第に雨が強くなり新横浜を過ぎるころには豪雨となり、小田原の手前で徐行運転になりついに小田原駅で一時間以上も停車し、名古屋に到着したのは定刻の2時間1分遅れであった。(ご存知のことと思うが2時間以上の遅れになると特急券は全額払い戻しとなる)その後、名古屋を出て岐阜羽島近くに来た時アナウンスが入った。「只今列車の遅れを取り戻すために速度を速めて運行しておりますので、京都の到着は定刻の1時間59分遅れの見込みです。到着後京都からの連絡の列車はございませんのでこのまま終点の新大阪まで行っていただき、この列車を列車ホテルといたしますので、始発の列車までお待ちいただくようご案内申し上げます」との内容に、私は特急券の払い戻しを回避するために名古屋~京都間を標準より2分スピードアップすることを考えたのだと思った。しかし名古屋と同じように2時間1分遅れで京都に着いてくれれば約5千円の特急券の払い戻しを受けることができ、これを使ってタクシーで帰宅できる乗客も多いはずだ。私も京都の到着時間が午前1時30分なのでタクシーで園部まで戻れば会社の朝礼に間に合うことができる。

そこで早速車掌に速度を上げて2分早く京都に到着する意味を尋ねた。すると「少しでも早く到着することが大切であるとの判断です」と言うので「接続列車があるならその考え方は成り立つが、今回の場合それが当てはまらないので名古屋~京都間を標準の速度で運行し2時間1分遅れで京都に着くのが乗客にとってはありがたい、JRの立場になれば特急券を払い戻したくないということは理解できるが、もしあなたが乗客の立場なら午前1時半という時間において2分早めるという判断は正しいと思うか」と尋ねた。車掌は返答に窮していたので、「すぐに運転手と指令所に連絡を入れて2時間1分遅れで京都に着くように乗客から要望があると伝えて欲しい」と言った。車掌室の前で待つこと数分、車掌が出てきて「名古屋と同じく京都には2時間1分遅れでの到着予定に変更いたしますので京都駅到着後、駅で特急券の払い戻しの手続きを行って下さい」と答えた。その時私の周りには成行きを心配して集まっていた十余名の乗客が一斉に「よっしゃ!良かった!」と手を叩いて喜んだ。

その様子を見て車掌からも少し安堵の笑顔がこぼれた。この笑顔にこそ人間の善行の本質が存在すると思う。お客様優先の判断こそがお客様から信頼を頂き、自らが幸せを実感できるのであって、利益を追求することを第一に考えるようでは商人としてあまりにも心寂しい人生となってしまうと思う。

組織の利益や目先の金儲けに命を懸けるのではなく、人を喜ばすことに命を懸けることの大切さに気付かなければならないと思うのである。
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2017年5月9日火曜日

「信頼」と「信用」を正しく考える

先月、4月20日~22日に大阪で開催されたバリアフリー展に出展した。床ずれに関するテーマで私が講師を務めた22日の講演会では立ち見が出るほど多くの皆様にお越しいただくことができ、講演後聴講者のお一人から「娘を助けてください」というご依頼をいただいた。お話を伺うと20代のお嬢様が生まれながらの重度の側弯症で頭の位置が右側にあるという状態であったため、小学生の時に大手術を行い、背骨の矯正をしたのだが左座骨の突出は矯正しきれなかったため、最近その部分に酷い床ずれが発生し、お尻に穴が開いた状態であり、今までいろんな介護関連メーカー等に専用のクッションを作ってもらったが改善できなくて困っているということであった。早速弊社でお嬢様の専用クッションを作製するべく、お尻の採寸を行い素材の選定等をする間、ジェルトロンマットレスの上でお休みいただいた。15分くらい経過したとき、お母様がお嬢様の寝息に気づかれ、お嬢様を起こし「このマットレスは凄い!」とおっしゃった。お嬢様からは「いつも上向きにしか寝たことがなかったのに、横向きに寝ても肩や腰が痛くならなかった、生まれて初めて横向き寝で『眠る』ことができた!」とお喜びいただいた。健常者にとって上向きから横向きに寝返る行為は睡眠中に無意識にできるものであるが、このお嬢さんにとっての寝返りはジェルトロン以外では苦痛を伴う大変な行為ということなのである。

お母様から「助けてほしい」と言っていただけたことは、正にお客様から頼られるということであり、これほど嬉しく責任の重さを感じることはない。

もう一つのエピソードとして、数年前にベストセラーとなった大野更紗さんの書かれた「困ってる人」という本がある。そこには筋肉が骨化するという難病との闘いをユーモアを交えて綴られており、「車椅子での外出時には無くてはならないクッション、その名はジェルトロン!」と記されている。知人の方からジェルトロンが登場する本があると教えていただき、購入し拝読した次第であるが、私の知らない方々にジェルトロンの機能を頼りにしていただけるということは開発者としてこんな嬉しいことはない。

「この商品でダメなら諦める」と言って頂けるのを信頼と表現するなら、「この商品でダメなら他を探す」と言われる状況では信用状態としか言えないと思うのである。究極の表現をするなら、命を託せるくらいの関係を信頼といい、ある程度信じて任せる関係を信用というのだと思う。信頼とは信頼した人が期待した結果を出せなくても自己責任として後悔しないという覚悟に基づく関係であり、信用とは信用した人が期待した結果を出せなかった時、後悔の念と反省が伴う関係であり、「いざという時に頼れない関係」ということになると思う。だから日本には「信用金庫」は存在しても「信頼金庫」が存在しないことは当然のことであると思う。弊社はいざという時にこそ頼って頂ける存在でありたいと願っている。

今回の内容は信用金庫を批判する意図はないので誤解の無きようお願いする。
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2017年4月14日金曜日

真の商いと儲けるということ

私が開発したジェルトロンはお陰様で様々な用途にご利用いただけるようになり、より一層お客様のお役に立てて頂けることを願い、商品の特性をしっかりと理解してお客様のお悩みやご要望に耳を傾けて頂ける心の温かい販売店様とだけ契約を結ばせていただくように考えています。

そこで心の温かい販売店様との出会いを広げるため、家具業界と介護福祉業界の展示会に出展しているのですが、それぞれの展示会で弊社の同じマットを目にした販売店の仕入れ担当者の反応の違いから、真の商いの姿に気づく大きなヒントがあります。

私自身、生まれながら家具業界に生きてきた経験から述べさせていただくと家具の展示会における多くの仕入れ担当者の反応は、「凄い面白い商品だね!これは儲かりそうだ!値段は?掛け率は?」といったものが殆どです。

介護福祉の展示会における多くの仕入れ担当者の反応は、「凄い面白い商品だね!これなら〇〇さんのおじいさんに使っていただける。この機能があれば〇〇さんのおばあちゃんの床ずれが治りそうだ!むち打ち症で首に不安がある人に確実にお勧めできる」といったものが殆どです。

絶対的に違うのは介護用品の仕入れ担当者の多くは、その商品を勧めるお客様の名前や症状が意識できており、何をソリューションするかが明確であるということです。

漠然と売れて儲かりそうな商品の掛け率交渉に大きなエネルギーを費やしながら仕入れを行う家具業界の仕入れ担当者では販売時点で、お客様に感動をお届けするなんてことは絶対にできないと思うのです。

商いの原点である仕入れというものを考えた時、買っていただくお客様という主人公の顔が全く見えていないようでは「下手な鉄砲数打ちゃ当たる」的な売り場になっているということです。メーカーのコマーシャルなどによって偶然に売れることはあっても売れ続けることはないと考えています。

介護福祉業界では当然であっても家具業界では少数派である、お金を儲けることを基本とせず、お客様の声に耳を傾けて頂けることのできる心温かい販売店様とのご縁を育むことが私の開発した子供のようなジェルトロン商品を、必要としておられるお客様に正しくお届けいただくことに繋がると考えています。



販売店の姿勢としてお金を儲けることを第一に考えているうちは、そのお店の信者となって頂けるようなお客様に出会うことはできません。儲けるという文字は信者をつくることに起源があり、そこには「金」の文字は存在していないのです。
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2017年3月14日火曜日

「目的と目標はどちらが大切?」

先日、ある商業者の集まりに出席した時のことです。「どうしたら売り上げを伸ばせるか、何を売れば儲かるか」といったことが話題になりました。私は「誰を喜ばすために何をどのように売るのか」といった商いの原点に目が向いていないと感じました。失礼ながらこの現状が今の日本の商業の実態であると思っています。

商業に限らず、どんな仕事でも必ず人に喜んでもらうことを目指さなければならないと思うのです。要するに人生の目的は、「お金を儲けて自分が喜ぶ」というのではなく「人を喜ばせて自分が喜ぶ」であると断言しても過言ではないと思っています。この考えこそが「利他の心」ということであり、これを実感することこそが自分自身の幸せを実感できるということだと思うのです。

この「利他の心」の実践の基本としてお客様と自分の間に一寸たりとも金銭尺度を入れないことが大切だと考えています。何故なら金銭尺度は絶対的に目標でしかなく、目的にはなり得ないからなのです。目的というものは数字で表現することができないもので、目的達成のために様々な目標を設定するのであり、目標はすべて数字に置き換えができるものです。逆の視点に立てば数字で表現できる目標を目的と混同して、目標達成に命を懸けることは目的が明確でないことの表れであると思います。

売り上げのために命を懸けるといった状況下においては、常に迷いがついてまわるものです。お客様が見えていないから、「何を売れば儲かるか」という迷いが発生するのです。目的と目標を常に分けて考える癖付けを徹底すれば迷いが消え不安が殆ど無くなります。目的と目標はどちらが重要かというともちろん目的です。何故なら読んで字のごとく、的(まと)は結果が出るところであり、標(しるべ)は的に到着するための効率的で効果的な通過地点にしか過ぎません。目的が明確じゃないまま、目標が達成できたとしても何のための行動だったのかということに再び迷いが生まれてしまうものです。

私は経営者の仕事の目的は、お客様に喜んでもらうことと同時に従業員の一人一人が仕事を終えて帰路に就くとき、「今日も仕事を通じてお客様に喜んでもらうことができて良かった」と従業員自身が喜び、幸せを実感できる仕事と環境を創造し続けることだと考えています。そして私自身はもちろん従業員の皆も「毎日を幸せに過ごすという人として共通の目的達成のために仕事をしている」ということを忘れてはならないと思うのです。
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2017年2月13日月曜日

「人間の価値観を超越した幸せのあり方」

読者の方々から久しぶりにスピリチュアル系の記事が読みたいとのお声を頂きましたのでリクエストにお応えさせていただきます。

私が明倫小学校に通っていた昭和43年頃の話、掃除の時間に大きな金属音のような音が校庭から聞こえてきたので走って校庭に出ると上空にとても大きな円盤型のUFOがおり、ゆっくり回転しながら大きな音と共にきれいな色の光を発していた。何人かの児童が集まってきて、皆がUFOを指さしながら驚きの声を上げていた。するとUFOは上空高く舞い上がり、凄いスピードで五老ヶ岳方向に姿を消した。その後、何人かの友人にこの時のことを尋ねても、しっかりと記憶に残っている者は私の弟を含めわずか数人だった。まるで夢を見ていたのかと思ったが、数人の記憶に共通する点があったので現実であったことは確かである。その日の真夜中に我が家の上空でまた同じような大きな音が聞こえ、父が外に出ると上空にUFOがおり、ゆっくりと動き出した。父はそれを追いかけようと自動車で後を追ったが真倉の辺りまで来たとき、UFOは凄いスピードで消えてしまったということを翌朝に父から聞いた。私はその後、何度もUFOを目撃しており、地球外生命体(地底内生命体を含む)という宇宙人の存在を当然のこととして受け止めている。現に我々自体が宇宙空間に存在する地球という星の宇宙人であるということを忘れてはならない。

また2015年1月にアメリカ空軍の公式UFO調査機関「プロジェクト・ブルーブック」の資料がネット上で閲覧可能になったことによりUFOをより身近に理解できる環境になりつつある。さらに様々な文献から察するに、地球外生命体としての宇宙人は我々の価値観を超越したものを持っており、我々に対して対等の視点でコミュニケーションをとろうとしていないのではないかと感じている。具体的に表現するなら、身の回りにいる動物に対して我々は対等のコミュニケーションをとろうとしないのと同じようなものである。

我々地球人が持つ「欲」というものを全く持たない価値観で「幸せのあり方を模索」して生きている生命体が存在すると考えてみると少しはイメージできるように思うが如何であろうか?



この価値観に近づくために我々人間界において世界各地で宗教観というものが生まれ、それを極めようとする「行者(気づきのワンダラー)」いう生き方を実践することで悟りが開け、宇宙生命体としての境地に到達できた時にはじめて地球外生命体から友人として迎えられるのだと感じている。先人たちはこの境地に到達した人のことを十界における「如来」と呼んだのではないだろうか。
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2017年1月16日月曜日

「医療・介護の主人公は?」

先日、弊社の従業員が急激に体調を崩し、病院に行った時の出来事。本人は前日の帰宅時に自転車で転倒し、首や頭や腰に大きな衝撃を受けていたとのことであり、当然それが原因と判断した先輩たちが総合病院に連れて行った。病院の受付では「受付時間が過ぎているので診察できない」との事務的な返事が返ってきた。しかし、立っていることさえもできない状態であったため、再度強く診察いただけないかとお願いした。すると、「救急車で来られた患者以外は診察しません」との返事が返ってきた。先輩たちは「では救急車を呼んでください」とお願いした。しかし、受付担当者は「自分で救急車を呼んでください」というのでその通り、その病院の玄関に救急車を呼んだ。先輩は駆け付けた救急隊員に経緯を伝え、ほかの病院に救急搬送してくれるようにお願いした。救急隊員は事情を素早く理解し、あたたかく次のように答えてくれた。「あなた方は冷たい対応を受けられたことで、この病院で診察してもらうことに不安があるかもしれませんが、私たち救急隊員の判断としては救急患者として他の病院に搬送するよりもこの病院で診察を受けることが望ましいと考えます。よって、私たちが診察いただけるよう病院と交渉します」。

そして交渉いただいた結果、診察いただけることになり安堵したところに一人の看護師がやってきて「あなた方は救急車をタクシー代わりに使ったんですね!」と耳を疑う心ない一言を言い放ったのである。

弊社も医療介護に関わる商品を製造販売させていただいているだけに、ご使用者や患者さんの立場に立った対応を常に心がけてきているが、他人事ではなく改めて仕事の目的は何かを従業員と共に確認した次第である。

1999年に東京ビッグサイトで開催された医学会総会に弊社開発のジェルトロン(当時はインテリジェル)マットレスを出展した際、殆どの医療従事者から「この商品は寝心地や機能はいいがセッティングに手間がかかるから使えない」と言われた。そこで、「あなた自身が寝たきりになったとしたら、今あなたの病院で使用しているマットレスとこのジェルトロンとではどちらを使いますか」と尋ねると、殆どの方がジェルトロンと答えてくれた。現在はかなり変化してきているが、この時点では医療・介護の現場の主人公は患者ではなく、殆どが医療従事者であったのである。医療の目的を正しく理解し、ナイチンゲール精神を実践して頂ける医療従事者が一人でも多く舞鶴にいて頂くことを願いたい。



その翌日、早速病院から現状調査の報告と共に謝罪にお越しいただいた。その素早いご対応には学ばせて頂くべきところが多くあり心から感謝している。
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